八代亜紀の唄を聞くと40数年前の青春時代を思い出す。
防衛医大の学生時代、全寮制で基本的に平日の外出はできなかった(もっともこっそり塀越えして新所沢徘徊してたが・・・時効時効 )ので週末になると(当時は土曜日も午前中は授業があった)当時デビューしたばかりの500円玉を右のぽっけに5枚、左のぽっけに5枚入れて、つまり5000円を握りしめて新所沢から(航空公園の駅はまだなかった)西武新宿線にのって、歌舞伎町に遊びに行くのが何よりも楽しみであった。
1970年代~1980年代の昭和の時代とともにわしの青春は歌舞伎町とともにあったといっても過言ではない。
当時歌舞伎町のど真ん中に『王城』という巨大なコンパ(死語に近い)があってそこで安いウイスキーを飲んだくれ、成功すべくもないナンパに精を出していた。
学生時代、週末に同級生と歌舞伎町に遊びに出て、土曜の夕方から夜中まで遊んでて、ええ~い 朝まで遊んじゃえ! 始発の電車まで遊んじゃえ~と言って終わりはオールナイトの映画館で過ごすか、今でもまだあるバッティングセンターで朝まで山本浩二目指してひたすらバットを振ってた。
夜が明けさて始発で帰ろうという段になって、一緒に遊んだ仲間の残り金を集計してみると全員分の電車賃に満たない。 どうしよ・・・
結局、全員で朝5時ころスタートで所沢の防衛医大まで約30Km(10時間ほど)歩いて帰ったこともあった。 所沢着は15:00頃 そっから遊ぶ時間が惜しくて、そのまま麻雀に行ったりしてた。
まだまだ若いつもりであるが、そんな無茶苦茶な遊び方は、到底できない。
歌舞伎町はわしにとって青春そのものなのである。
今日は、わかさ時代から大変おせわになっていた社会保険労務士の先生との懇親会であったのだ。コロナも終息したわけではないが、規制も解除され行っているので、社労士先生もお誘いして、わしの第2?第3?の故郷の歌舞伎町で飲んで、いろいろな貴重なアドバイスを受けていたのである。