上新井くろかわクリニック 黒河圭介

上新井くろかわクリニック院長 黒河圭介のブログ

主役不在の誕生会

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わしには、孫が4人おるがそのうち一人が3歳の誕生日を迎えるので今日は集まって誕生日会の予定であった。

 

ところが主役である3歳になる孫娘が、熱を出してこられなくなった。 やむなく主役不在の誕生日会となったのである。

 

ついでに子供たち、孫たちへのインフルエンザワクチン接種を行った。 ホンマはジイちゃんは悪者になりたくなかったので、孫たちにワクチンを打つ時は看護師さんに打ってもらうのだが、3歳になった孫にはじいちゃんの注射は世界一うまいというのを吹き込んでいる(三つ子の魂百まで)ので、男なら我慢せえ! と言ってチックンしたのである。

 

もうすぐ2歳になる長男の長男 つまり黒河家本家の跡継ぎ 皇位継承第一位ということだ。

3歳半 とても活発な性格でうちに来るとおおはしゃぎする。

生後半年の孫 どんどん大きくなって重くなっていく。

今日は来られんかったがケーキと誕生プレゼントを託けたら、大喜びをしてケーキを食べてくれたらしい。早く大きくなって美しい娘になっておくれ。

4人の孫たちは、すくすくと大きくなってとても頼もしい。 あとを継いでほしいなんて思わんが、だれか防衛医大に行ってくれんかの~~

 

来年3月には5人目の孫が生まれる予定。 まだ性別はわからんというが、今のところ男3人 女1人じゃけ、女の子が生まれて女の子同士仲良くしてくれるとええの~と思うのである。

笑って許して

 

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まだまだ続くコロナ渦にあって、ほんまに久しぶりに医師会メンバーとたのしくのんでたのである。

 

コロナの第8波とやらがきているそうで、岸田政権はまたまた地方自治体に丸投げで集会の自粛を行うみたいであるが、国民の大部分は、もうええ加減にしてくれよ~と思っとる。

まさに、『笑って許して』なのである。

時々医師会メンバーでこうして集まって飲むことはほんま楽しい。



母に捧げるバラード

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母ちゃんがまた倒れた。

 

母は、20歳で広大の教育学部を卒業してから広島の本川小学校の教員となり、わしと妹を育ててくれた。 

晩年まで元気でいたが、さすが80歳を過ぎてからいろんな病気になり4年前心臓の大動脈弁狭窄症の手術を受け、2018-12-06から1日間の記事一覧 - 上新井くろかわクリニック 黒河圭介 (hatenadiary.jp)

つい半年前は小腸壊死で緊急開腹手術を受けた。奇跡の90歳! - 上新井くろかわクリニック 黒河圭介 (hatenadiary.jp)

 

10日ほど前また妹から連絡があり、母ちゃんが便所で転んで動けんくなり、救急車で運ばれ大腿骨頸部骨折で手術を受けることになったと。 大腿骨頸部骨折は、骨粗しょう症の老人の終着駅であり、認知症があったり全身状態が悪いと手術できずそのまま寝たきりになってしまって天国に行ってしまうケースがよくある。

 

4年前の心臓の手術の時も半年前の開腹手術の時もこれでお別れじゃと葬式のことを考えていた。 もう今度こそほんまに駄目かも知らんと覚悟を決めておったが、昭和一けたのたくましい母は、またまた驚異の復活を遂げ、術後2日目から今日はベッドに座った、今日は30秒立った、今日は車いすで病棟を動いた、とラインで様子を知らせてくる。 大体が91歳で何事もなくラインでしっかりした文章を送ってくること自体すごい。 まったくぼけておらんで、文章もしっかりしとる。

 

母の病状のこともこれまでは心配じゃったが、最近はマジで『逆縁』(つまり息子が母より先に死ぬこと)が心配になってきた。 若いうちに故郷を捨てろくな親孝行はしてこんかったわしであるが、それだけは絶対にしてはならん親不孝じゃと肝に銘じとる。

 

母の術後写真、大腿骨置換術ではなく自前の骨を残して再接合をしていただいたようである。

 

所沢准看 入学試験面接官

11月13日日曜日 所沢准看後学院の運営委員をしておるわしは、同校の入学試験の面接官をしておった。 

 

中学高校の時はともかく、防衛医大に来てからは素行の悪さは天下一品であったわしが、これから看護師になろうかという方を評価する面接官などという大それた役割を果たそうとは夢にも思わなんだ。 

 

23歳~51歳までの10名の方の面接を担当したが、それぞれの受験者の方たちのお話を聞くと人生ってのは奥が深いんだなぁ~と感じる。  

 

10人の方には10人のそれなりの人生がある。 面接した方たちが何年か後に立派な看護師となり、もしかしてわしと一緒に働くことができたらいいなぁ~と思い面接をしてまいった。 

 

1月には所沢准看で『運動器疾患』という講座で5回ほど90分の講義をしてくる。 

 

 

ホールインワン 目撃(わしじゃない)

米国ゴルフレジスターが公表している数字によれば、初心者を含む全てのゴルファーを対象にしたホールインワンの出る確率は1/33,000だそうです。中級者以上のアマチュアの場合、1/8000から1/14000の確率で出る、というデータがあります。ツアープロの場合は、1/3,700の確率だそうです。

 

わしらのようなアベレージゴルファーにおいては、大雑把に言って1万回に一回ということなのである。仮に毎週一回ゴルフに行ってたとすると年に50回ラウンドして、1ラウンドごとにショートホールは4回あるので、年間200回のチャンスがあるということだ。 1万÷200=50 つまり50年間毎週ゴルフに行ってて一生に1回あるかないかの出来事なのである。

 

今日は、そのめでたいホールインワンを医師会仲間のさいとう先生が達成したのである。  

ホールの前40cmのところにデポットがあったので、ワンバウンドでIN!

武蔵カントリー笹井コース 16番ホール 139Y 8番アイアンでホールインワン! 

 

明日以降、さいとう先生に会った人は、『おめでッと~』って言ってあげてね。

 

夜の新宿 歌舞伎町

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八代亜紀の唄を聞くと40数年前の青春時代を思い出す。

 

防衛医大の学生時代、全寮制で基本的に平日の外出はできなかった(もっともこっそり塀越えして新所沢徘徊してたが・・・時効時効 )ので週末になると(当時は土曜日も午前中は授業があった)当時デビューしたばかりの500円玉を右のぽっけに5枚、左のぽっけに5枚入れて、つまり5000円を握りしめて新所沢から(航空公園の駅はまだなかった)西武新宿線にのって、歌舞伎町に遊びに行くのが何よりも楽しみであった。

 

1970年代~1980年代の昭和の時代とともにわしの青春は歌舞伎町とともにあったといっても過言ではない。 

 

当時歌舞伎町のど真ん中に『王城』という巨大なコンパ(死語に近い)があってそこで安いウイスキーを飲んだくれ、成功すべくもないナンパに精を出していた。

 

学生時代、週末に同級生と歌舞伎町に遊びに出て、土曜の夕方から夜中まで遊んでて、ええ~い 朝まで遊んじゃえ! 始発の電車まで遊んじゃえ~と言って終わりはオールナイトの映画館で過ごすか、今でもまだあるバッティングセンターで朝まで山本浩二目指してひたすらバットを振ってた。

 

夜が明けさて始発で帰ろうという段になって、一緒に遊んだ仲間の残り金を集計してみると全員分の電車賃に満たない。 どうしよ・・・ 

 

結局、全員で朝5時ころスタートで所沢の防衛医大まで約30Km(10時間ほど)歩いて帰ったこともあった。 所沢着は15:00頃 そっから遊ぶ時間が惜しくて、そのまま麻雀に行ったりしてた。

 

まだまだ若いつもりであるが、そんな無茶苦茶な遊び方は、到底できない。

 

歌舞伎町はわしにとって青春そのものなのである。

 

今日は、わかさ時代から大変おせわになっていた社会保険労務士の先生との懇親会であったのだ。コロナも終息したわけではないが、規制も解除され行っているので、社労士先生もお誘いして、わしの第2?第3?の故郷の歌舞伎町で飲んで、いろいろな貴重なアドバイスを受けていたのである。

 

歌舞伎町らしいケバイ照明の中で飲むのはとても楽しくてウキウキしちゃう。