上新井くろかわクリニック 黒河圭介

上新井くろかわクリニック院長 黒河圭介のブログ

見上げてごらん 夜の星を

わしは、朝夕の犬の散歩を日課としておる。 朝は起床後着替えて必ずハナちゃんと散歩する。夜だってどんなに飲んできても帰ってからハナを連れて散歩に行く。

ハナは今年の正月で5歳になった、犬の年齢は、最初の1歳で20歳、そっから毎年4歳づつ年を取っていくと言われているのでハナは人間でいえば36歳。 わしはハナのことを『おばさん』と呼んでおる。

 

今日は、当院担当のMRの方たち(女性MR3名 男性MR4名)との情報交換会で離宮で飲んでました。 コロナ禍で人と人とのつながりが薄れゆく中こうしたFace to face の顔と顔を合わせたコミュニケーションはホンマ重要であると思う。

今夜の飲み場はここ。 所沢」パークホテル内の離宮

 

ところで冬になり空が澄んできて、星や人工衛星がきれいに見える。 冬の真夜中犬と一緒に歩いていると坂本九のこの唄が歌いたくなる。

 

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さあ、明日からも 『ささやかな幸せ』 を求めて生きていこう。

 

謹賀新年

コロナが終わってやっと平和な正月がおくられるかと思ったら、北陸地方の大地震やら羽田空港JAL機炎上など不幸な出来事が続いておる。

 

しかしわし的にはとても平和で幸せな正月を過ごしておる。

 

1月2日の今日は入間カントリーで仲間たちと寒い中であったが打ち初めをしてきた。 コロナ前のようにおせち大盤振る舞いとはいかなんだが、お正月特別メニューを食べてきた。

 

入間カントリーのご飯は安くて美味しい。

夜は、5人の孫たちに囲まれて夕食を食べ、とても幸せなひと時であった。 死ぬまで働くと決めたわしであるが、この子たちがいくつになるまで働いていることができるのだろうか? 中学生になっても高校生になっても日本一注射のうまいジイジが注射してやるからの。

 

黒河家皇位継承第5位の5人目の孫。なかなかイケメンで将来女なかせになるぞ。

 

年始のご挨拶

年始のご挨拶

 

令和5年12月 函館にて

あけましておめでとうございます。 

 

2024年(令和6年)の年明けに際しての年頭所感を書きたいと思います。 

 

毎日多くの患者さんに来ていただいて、診療開始から診療終了までほとんど途切れることなく診察をしています。もちろん限られた時間の中で患者さんのご病気については十分な説明を行い、患者さんからのご質問にはすべてお答えしていますが、診察以外で一人一人の患者さんとゆっくりとお話しすることはできていません。 一方通行にはなりますが2024年(令和6年)の年明けに際しての年頭所感を書きたいと思います。 

 

 

ここ上新井の地で『上新井くろかわクリニック』を開業したのが平成3010月ですから、はやくも開業して5年が経ちました。 最初に狭山ヶ丘の地にわかさクリニックを開業したのが、平成3年ですから開業医生活は足掛け33年になります。

 

 

私は医師として特別優れた技能があるわけでもなく特別な資格もございませんが、地域の方たち赤ちゃんからお年寄りまでの幅広い疾患を何でも診る『街医者』(総合臨床医)としてこれからも自分にできることは精一杯診療していくつもりです。

 

私ももうすぐ年金受給者の年齢(満65歳)に達します。自分ではまだまだ若くて未熟なつもりですが、体だけは年相応に衰えており、あちこちにガタが来始めました。 私と同級生の人のうち公務員や会社員の方はほとんどの方が定年を迎えられ、仕事の上では第一線を退いておられる方が多いです。 私はまだまだこうして毎日患者さんたちの診療に当たることができるのはたいへん幸せなことであると実感しています。

 

55歳を過ぎたころから開業医としての幕引きを考えた時期もございました。 今年で65歳を迎えるにあたって少しづつ考えに変化がございまして、私を必要としてくださる方がいらっしゃるうちは、体が動くうちは死ぬまで働こうと思うようになりました。 ただ、体力は確実に衰えてますので 無理をせぬように時には休養を取りリフレッシュしながら働いていく所存でございます。

 

本年も『上新井くろかわクリニック』 どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

1月の休診日  

11日(月)~3日(水)

127日(土)

 

                   

令和6年 元旦 

上新井くろかわクリニック 院長 黒河圭介

看護師忘年会

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今夜は、当院の放射線技師・看護師たちとの忘年会であった。

 

 

いうまでもなく放射線技師・看護師は上新井くろかわクリニックの重要な戦力であり、とても大事に思っとる。

 

前列右端の看護師さんは、昭和52年(1977年)今から50年近く前にわしが防衛医大入校したころに防衛医大看護学校の学生じゃった看護師さんで、30数年前にわしが狭山ヶ丘整形外科・内科を開業した当初から、一緒に働いてくれとラブコールを送ってきた看護師さんなのだ。 彼女も防衛医大病院の看護師長を歴任し定年退職となった今、40数年ぶりに再会した方なのである。

 

あの頃は、お互い18歳で若かったの~と昔話をしながら、うちの若い看護師さんたちにも看護師の理想像を指導してくださいよ~と話してきた。

 

 

 

Merry Christmas

わしは、中高とカトリック系の学校の卒業であるが、もともとの家系的には

浄土真宗 仏教徒なのである。 

 

よってバテレンのお祭りにはとんと興味がないが、ミーハー的には今日はクリスマスということでお調子者のわしは、今日の診療を終えてからさっそくサンタクロースのコスプレに身を包み、小手指の街を闊歩したのである。

 

12月25日の夜にこんな格好をしとるのはピザ屋の配達人とわしだけ。

 

近所のスーパーで定番の長靴に入ったお菓子を買い込み、近所の孫たちに配って回ったのである。 

 

クリスマスと言えば、ネクタイで頭に鉢巻をして、とんがり帽子をかぶりまっかな鼻ならぬ顔をしたおっさんが飲み屋街を飲み歩くという風景が思い浮かぶ。 

 

昭和のクリスマスは遠くなりにけり・・・

 

 



 

 

もうすぐ92歳の母ちゃんの小言はありがたい。

この週末、広島の母の顔を見に1泊2日で岩国空港経由で広島に出かけた。 

 

母は、昭和7年生まれで91歳、来年には92歳になる。 かなりの年になるまで元気であったが80過ぎてから大病を患うことが多くなり、腰椎圧迫骨折、大動脈弁狭窄症のOPE、小腸壊死による開腹手術、大腿骨頸部骨折OPEに加え、つい1か月前も転倒して膝蓋骨骨折をした。さすがにもう手術はしなくて、そのままそっと治るのを待っておる。

 

ほとんど歩けなくなり、トイレもベッドわきのポータブルトイレでしておる。 それでも、施設に入る気は全くなく、いまだに実家で一人暮らしをしておる。 近くに住む妹が何から何まで面倒を見てくれて毎日食事を運び、体をふいてくれる。 

 

母は、91歳になっても毎日日記をつけ、インスリンを毎日自己注射し、漢字ドリルのパズルをして、薬剤の管理も全く自分でしており、認知症の気配は今のところ全くない。 スマホだって自由自在に操り、毎日しっかりした文章で誤変換もなくわしにラインを送ってくる。 驚いた高齢者なのである。 

 

しかしその分、口うるさく。 もうすぐ年金をもらおうかという息子に 

『あんた、すこし痩せたみたいじゃが体は大丈夫か?』 

『体に気をつけんさい』 

『あんまり頑張りすぎてはいかんがしっかり毎日働きんさい』 

『患者さん、職員さんには優しくしんさい』 

『子供を甘やかしんさんな』 

とたくさんの説教をたれる。

 

毎回広島に行くたんびにこれで母ちゃんの小言を聞くのは最後じゃと思って通っておる。 来年の11月には職員の希望もあり秋の宮島の紅葉を見せに広島への職員旅行も計画しておる。 なんとかそれまで元気でおってくれると嬉しい。

広島に行ったら何といっても『お好み焼き』 今回も、妹一家も集まってみんなでお好み焼きを食べた。

つい先月、三男が入籍し黒河の姓にもう一人の家族が増えた。 今回の広島行きの目的の一つは三男の嫁を黒河家の先祖様に紹介することであった。

 

年金受給者に 仲間入り~

昨日も仲の良い飲み友達と忘年会をやっておりました。 年をとってもわしにはこうして付き合ってくれる仲間たちがいっぱいいて幸せじゃ。 

 

ところで、ついにわしも来年の1月で年金を受け取れる年齢に達したようで、先日年金事務所に行ってあれこれと手続きをしてきた。 ちょっと愚痴を言わせてもらえば、税金やら年金やら健康保険やら取り立てるときは紙切れ一枚ではぎとるように取っていくが、いざもらうとなると書類作成やら手続きやらが非常に煩雑でこれって意地悪かと思えるくらい面倒臭い手続きが必要なのである。

 

わしは必要としてくれる人がおる限り死ぬまで働くつもりじゃし、(というか働かなくなったら死んじまう)年金なんてもらうつもりは毛頭なかった。 しかし18歳から今まで(わしは防衛医大入校と同時に『特別職国家公務員』になったので)年金は全く滞納することなく収めてきたので、もらってもばちは当たらんととりあえず手続きだけはしてみた。いったいいくらくれるんじゃろか?とワクワクしてたが、もらえる額は驚くほどに少なかった。今まで払ってきた年金を取り戻すためには150歳くらいまで生き続けんと取り返せないじゃないかと思ったのである。

 

もっとも年金とは積み立てた年金をもらうんじゃなくて、払った年金は現在のお年寄りを支えるために払っとるわけじゃし・・・  30年前は10人の若者が1人の年寄を支えており、20年前は5人の若者が1人の年寄を、10年前は3人が1人を、そのうち一人の若者が一人の年寄を支えるようになるという絵はよく見るが、その通りじゃと実感したのである。