18歳まで過ごした広島を離れてから46年が経過したが、わしにとって故郷は、母と広島カープだけとなった。
わしのは母は、昭和7年生まれで満91歳。 元小学校の教員でいまだに口調が学校の先生の口調そのものなのである。 90歳越えたらたいていの人は多少なりともぼけてくるが、母はいまだに頭はしっかりして64歳のわしにもまるで小学生に対するように説教をたれる。
この土日は、広島の母に会いに行った。 頭もしっかりしとるし、性格的に老人ホームに入るような玉じゃないので、いまだに広島西区の自宅で一人暮らしをしとる。 妹と妹の娘たちがすぐ近くに住んでおって毎日安否確認をしてくれておる。
80超えてから脊椎の圧迫骨折、大動脈弁狭窄症でもカテーテル手術、小腸壊死での開腹手術、大腿骨頸部骨折手術とそのたびにこれでお別れじゃと葬式の心配をしたが、いまだに口だけ達者で一人暮らしをしておる。
さすがにもういつ逝ってもおかしくない年なので、わしも暇があれば母に会いに行くようにしておる。この土日も1泊2日の少しの時間じゃったが母と一緒にご飯を食べ、母の小言を聞いてきた。